オルゴールの小さな博物館
 
 


蓄音機

 
 

  1877年の初冬、アメリカ・メンロパーク村のエジソン研究所での出来事です。所長のトーマス アルバ エジソンが見たことの無い機械を持ち出し「人の声を記録する機械だよ。」 その場に居合わせた人々は皆

「そんなことうまくいくはずないさ」と賭けを始めました。「失敗したら、所長の葉巻を下さい。」エジソンはハンドルを廻しながら、機械に向かって大声で歌い出しました。「メリーさんの羊、羊、羊、 メリーさんの羊は真っ白だ…」 それから、機械を慎重に操作して、再びハンドルを廻すと「メリーサンノヒツジ、ヒツジ、ヒツジ…」なんと機械が歌い出したのです。「オオ・マイ・ゴット!」。 この実験はたった一枚のスケッチとたった一回の試みで成功しました。人類が長い間、待ち望んでいた「音を記録する」ことに成功した最初の瞬間です。


エジソン・ティンフォイルのスケッチ

エジソン・ティンフォイル・レプリカ


 この実験は錫に描かれた音の波形の軌跡を針先でたどって振動板(ダイアフラム)を振動させれば、記録した音を再生できると考えそれを実現させたのです。実はエジソン以外にも音を録音する方法を考えた人々がいますが、最初に実験を試みたエジソンが発明者と考えられています。エジソンはこの機械をフォノグラフ(phonograph 音を記録するという意)と名付け、タイプライターの替わりに文章を記録する文房具として考えていたようです。その為、この当時のエジソンの蓄音機はあまりにも原始的で再生音も悪く、すぐに人々にあきられてしまうのです。エジソン自身もこの頃から白熱電球の研究に没頭し、その後約10年間、ほとんど蓄音機の改良に手を加える事はありませんでした。

 

 その後、蓄音機の改良は電話で有名なベルのいとこ、チチェスター ベルとティンターのふたりが受け継ぎます。彼らは錫箔の変わりに蝋(ワックス)のシリンダーを使用し、それに音を切りこむ事を考案しました。1886年にグラフォフォンとして商品化されます。そのシリンダー・レコードは、その後”蝋管”と呼ばれる事になります。このような録音方式は縦振動方式と呼ばれ、音の振動を針の圧力で上下に刻むものでした。

 

蓄音機
蓄音機

 1887年にアメリカのエミール ベルリナーが円盤型のレコードを開発しグラモフォンと名付けました。ベルリナーは縦振動の録音方式では空気の圧力の変化により歪が生じると考え、音の縦波を横波に変換する方式を考案しました。この横振動方式が円盤上に音溝を刻む方式を容易にし、1950年代まで主流であったSPレコードの原点を誕生させたのです。



  一方、ベルリナーが円盤レコードの改良にあけくれていた1895年頃までには、ジャンニ ベッティーニによる録音方法の改善等も行なわれ、シリンダー・レコードは商品化され市場に出まわるようになりました。1895年、ベルリナーの円盤レコードが製品化されると、蓄音機業界はシリンダー対円盤、縦振動対横振動録音という根本的に異なるシステムの対決が始まります。そして、ソフトの複製の方法、また材質の向上等から円盤レコードは音質的にも画期的に進歩を遂げ、20世紀の到来とともに圧倒的な勝利を得ることになります。



  1905年の三極真空管の発明は音声信号を電気的に増幅することを可能にしました。真空管の登場は電気音響という新しい技術の世界を生み出し、音声をラジオで伝送する事を可能にしたのです。1920年にラジオ放送が本格的に始まると、アコースティックな蓄音機も変貌を遂げていきます。1924年にマイクで音声を電気信号に換え、電流を真空管で増幅する電気録音が採用されました。これにより音楽再生技術の性能は飛躍的に向上し、また新たな時代が幕を開けることになるのです。

 

Update May 2009

 

 
     
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オルゴールの小さな博物館は2013年5月15日をもって閉館しました。

Our Museum has closed its doors on May 15, 2013.