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ラフマニノフにつてい

ファイル 591-1.gif セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(Серге́й Васи́льевич Рахма́нинов 1873 – 1943)

5月の演奏会コースの自動ピアノの演奏はラフマニノフ自作自演の前奏曲 嬰ハ短調。
ラフマニノフの最も有名な楽曲のひとつで、モスクワのクレムリンの鐘の音に着想を得て作曲されたといわれることから、ラフマニノフの「鐘」などとも呼ばれています。
フィギュア・スケートの浅田真央ちゃんがバンクーバー五輪の時のフリープログラムで使った曲なので、どなたも一度は聴いたことがあると思います。
 
 
 

ラフマニノフはピアノ演奏史上有数のヴィルトゥオーソであり、作曲とピアノ演奏の両面で大きな成功を収めた音楽家としてフランツ・リストと並び称される存在といわれています。
そこで、今日はラフマニノフについて、ご紹介したいと思います。

ラフマニノフはロシアの作曲家、ピアノ奏者、指揮者です。
苦学してモスクワ音楽院のピアノ科と作曲科を通常より1年早く卒業し、特に作曲は大金章という最高成績を受ける秀才。
卒業後すぐの1892年、モスクワ電気博覧会で、「前奏曲 嬰ハ短調」を初演し、熱狂的な人気を獲得、ラフマニノフの代名詞的な存在になります。
(この曲が5月の演奏曲です。)
しかし1895年に交響曲 第1番の初演を迎えますが、記録的な大失敗となり、自信を喪失し一時は作曲を断念、神経衰弱にまで陥ってしまうのです。
しかし精神科医の助けなどにより、1902年ピアノ協奏曲 第2番を自ら初演して表舞台に返り咲き、 09年には渡米、自作を演奏するピアニストとして名声を高めるのでした。

身長2メートルに達し、巨大な手の持ち主でも有名です。
12度の音程(小指でドの音を押しながら、親指で1オクターブ半上のソの音)を左手で押さえることができたと言われています。
指の関節も異常なほど柔軟であり、右手の人指し指、中指、薬指でドミソを押さえ、小指で1オクターブ上のドを押さえ、さらに余った親指をその下に潜らせてミの音を鳴らせたといいます。

ロンドンで彼のピアノ演奏に度々接した音楽評論家の野村光一がラフマニノフの演奏について下記のように語っています。

ラフマニノフの音はまことに重厚であって、あのようなごつい音を持っているピアニストを私はかつて聴いたことがありません。重たくて、光沢があって、力強くて、鐘がなるみたいに、燻銀がかったような音で、それが鳴り響くのです。まったく理想的に男性的な音でした。それにもかかわらず、音楽はロマンティックな情緒に富んでいましたから、彼が自作を弾いているところは、イタリアのベルカントな歌手が纏綿たるカンタービレの旋律を歌っているような情調になりました。そのうえにあの剛直な和音が加わるのだから、旋律感、和声感ともにこれほど充実したものはないのです。

これらアコースティック録音のほかに、ピアノロールにも演奏の記録が残されている。はじめは1本の穿孔された紙で正確な演奏を再現できることが信じられなかったラフマニノフだが、1919年にアムピコ社の最初の録音のマスターロールを聞いて、「みなさま、私はたった今、私自身が演奏するのを聞きました!」と述べたと伝えられる。アムピコのための録音は、1929年頃まで続いた。

ラフマニノフは1910年代にエジソンレコード社の「ダイヤモンド・ディスク」レコードと、その後ビクタートーキングマシン社と契約し、多くのレコードに録音を残しました。
更に、ピアノロールにも録音を残しています。
ラフマニノフは初め孔のあいた紙で正確な演奏を再現できることが信じられなかったようですが、1919年にアンピコ社の最初の録音のマスターロールを聞いて、「みなさま、私はたった今、私自身が演奏するのを聞きました!」と述べたと伝えられています。

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